アニメIS 〈インフィニット・ストラトス〉の問いかけるものとその受容とは何か〜4話を見て〜

2011年冬期で話題沸騰のアニメといえば、インフィニット・ストラトスことISですが、あまりの衝撃に絶句しっぱなしだった4話「決戦!クラス対抗戦」を見て、これは何か書かなければという気持ちになりました。というわけで、今回はISのお話。マギカその他が話題沸騰?考察サイトいっぱいあるじゃん。ggrks(暴言)。

IS4話だけを振り返る

IS4話で主に起こったことを箇条書きすると、


1. 通用するのは一回だけな必殺技があるというお約束
2. 自分の実力に合わせず、強い女性を女の子扱い→何故かピンチを助けて女の子が惚れるというお約束
3. 主人公を助けるために無謀な発進・攻撃をしようとする2ndヒロイン(セシリア)→けど、上官に攻撃は不可能だと散々に論破される→しかし、よく分からないけど、その発進・攻撃が成功するという謎展開
4. なんとなく無人機な気がする→それなら全力が出せる→勝利へという謎展開
5. よく分からないけど、1stヒロイン(箒、1st幼馴染)が無防備なまま前線へ→そしてピンチになるという謎展開
6. 説明がないまま3rdヒロイン(鈴、2nd幼馴染)の砲撃を吸収して主人公がパワーアップするという謎展開
7. 倒したはずの敵が復活→うおおおおおお(本当にこれだけ)→保健室へという謎展開
8. 保健室にて唐突にシリアスになる演出→それを振り払うように3rdヒロインとデート約束をする→それを絶妙なタイミングで妨害しにくる1st、2ndヒロインというお約束
9. 落とした女性キャラがEDに加わっていくという謎ED


とあり、4話だけでも、3つのお約束と6つの謎がある強烈な仕様になっていることが分かります。特に、1stヒロインが謎ピンチ→3rdヒロインの砲撃を謎吸収→2ndヒロインが謎出現、敵を倒す→敵謎復活→うおおおおおおお→保健室は改めて見直しても訳が分からない展開となっており頭を抱えます(原作では納得がいく説明があるそうなので原作買えという強い購買キャンペーンの一種かもしれません)。


しかし、4話には残された10個目の強烈仕様、謎演出が隠されているのです。
それが↓

http://blog.livedoor.jp/superunkman/archives/50794325.htmlから転載)


このシーンは、主人公の姉であり、上官であるいつも冷静沈着な千冬が、弟のピンチに動揺を隠しきれず、コーヒーに砂糖でなく塩を入れてしまうというシーンです。やっぱり見直しても訳が分かりませんね。初見では、あまりにも強烈な謎演出でめまいを起こしかけました。なぜ、塩があるのかというよりも、なぜ、動揺する心情描写としていくらでも方法があるのに、でかでかと砂糖、塩という文字を入れて、その塩を飲むことで動揺していることを伝えようと思ったのか。コーヒーカップががたがた揺れるだけでも問題ないのに、なぜ、大きな文字で「砂糖」、「塩」と書かれた容器を当然のように座らせているのか。どうやら原作準拠らしいですが、アニメ版ではそのシーンはあまりにも異様でした。
4話のみで10個の強烈仕様を投げかけてくれたISは、楽しみたかったら、考えるんじゃない感じろと強く我々に問いかけているようです。

アニメISの問いかけに視聴者はどのように返答しているのか

では、ISは単なる3Dでの戦闘シーンが素晴らしい馬鹿アニメとして、そうした馬鹿アニメを見る作法としてのうがった見方を用いれば、楽しめるという作品なのでしょうか?考えずに感じるというのは特殊な見方なのでしょうか?それは少し違う気がします。
ISでは、4話のうちで既に3人が完全陥落されてしまう(個別回が設定されているのにもかかわらず)という怒涛の進撃っぷりです。特に2話から、3話にかけてのセシリアの落ちっぷりは既存のアニメ用語では対応できず、「ちょろい」さんという新用法が生まれました。ISに一貫しているのは、ヒロインの心理展開が急激であること、試合の展開も急激であることです。つまり、ヒロインが主人公に惚れていく過程というのはかなりの程度置き去りであり、主人公との接点の作り方が不自然といっていいほど唐突であり、試合も勝った負けた程度の情報しか与えていません。
しかし、それでも視聴者は単純に楽しめているのです。これはどういうことなのでしょうか。視聴者が体験しているこの時代とは、キャラデザでそのキャラの性格、主人公との恋愛展開が分かってしまうような時代です。恐らく視聴者は、テンプレートな恋路展開をマイナーチェンジしたものを3、4話見させられるよりも、お決まりに展開に従ったお決まりなキャラであれば1話で速攻デレても許せるし、むしろそっちのほうが好ましいと思っているのではないでしょうか。今まで3話はかけないと落とせなかったツンデレヒロインが、1話で完全陥落、主人公になびいてしまうのは訳が分からないとうそぶきつつも、なんとなく心理変化はいつものあれなのだろうから分かるし、見ていて新しく楽しいのです。主人公が徹底的に鈍感なのも見たことがあるがゆえにイラつきもしませんし。
このアニメは雑ですが、視聴者はその雑さを補完できるほどの知識・経験を持ち合わせているゆえに受け止めることが出来るのです。そして、視聴者は特殊な見方として考えずに感じる必要はなく、空気のように考えずに感じてISを楽しめます。これこそまさしく、深夜アニメが積み重ねてきたものの一つの決算なのではないでしょうか
原作は売れ行き好調のようですし、BDも結構売れると思います。商業的にも成功し、視聴者も楽しんでいるこの世界を壊すべきとするのか、あるいは浸ってしまうべきとするのか大きなテーマとはなると思います。しかし、とりあえず、今日のISはどうだった?→セシリアがかわいいかったよ、という世界は現にそこにあるのです。そして、そこではアニメISの問いかけるものを苦も無く受け入れているのです。いや、むしろ、考えずに済むから楽しいとまで言ってもいいのかもしれません。それにISが応えただけに過ぎない、そうかもしれません。